名越二荒之助による紹介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:31 UTC 版)
「ペリリューの戦い」の記事における「名越二荒之助による紹介」の解説
1982年に建築されたペリリュー神社内に1994年に建立された石碑には、ステールメイトII作戦の指揮官であったチェスター・ニミッツの詩文とされる文字列が彫り込まれている。 「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」"Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz" 名越二荒之助の著作で有名になったこの日本語で書かれた詩文は、名越によれば、ペリリュー神社境内の掲示板に書き込まれていたものを名越が見つけたとしている。 右の掲示板には、戦闘の経過が要約され、米国公刊戦史に載っているとして、次の詩的な一文で結ばれています。「この島を訪れる旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を・・・・・・ — 1987年『世界に生きる日本の心』230頁 名越はこの詩文のオリジナルである英文を探そうと他の人に頼み、ついに浦茂(元陸軍中佐。宮城事件ではクーデター計画作成に関与・戦後航空幕僚長・退職後ロッキード社の代理店の丸紅顧問)が1984年に渡米し、ニミッツの資料を求めてアナポリス海軍兵学校を訪れた時、教官からニミッツの詩として伝えられたものとして、英文を提示した。 浦氏が昭和五十九年に渡米し、ニミッツの資料を求めて、アナポリス海軍兵学校を訪れました。その時、教官から教えられた英文は、次のようなものでした。「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. 」 — 1987年『世界に生きる日本の心』231頁
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