合弁解消
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 08:04 UTC 版)
1937年、日中戦争勃発により本拠を西安に移動するも経営困難に直面。1941年、独華断交に至り事実上運営を停止、ドイツ人社員は帰国。中華民国交通部がドイツ資産の凍結や株式買収を行なった。1943年、欧亜航空は正式に解散となり、社名を中央航空公司に改組。旅客機は政府が接収し軍用物資の運搬業務などに当たる。 第2次大戦後は復興事業でもう一社の外資との合弁航空会社「中国航空公司」と共に主力となった。1946年には米軍余剰物資の輸送機や部品を購入し、戦時中に運休した路線も含め1946年初頭には運航再開した。
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