各曲の解説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 15:02 UTC 版)
※この「各曲の解説」の解説は、「近代に作られた神楽」の解説の一部です。
「各曲の解説」を含む「近代に作られた神楽」の記事については、「近代に作られた神楽」の概要を参照ください。
各曲の解説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 01:54 UTC 版)
詩の順序は、ミュラーの原作とは異なっている。その理由は以下の経緯による。 1823年、ミュラーは12編の連作詩を「冬の旅」として同年発行のポケット年鑑「ウラーニア」で発表した。 1824年、ミュラーは「ウラーニア」で発表した「冬の旅」に12編を書き足したうえで、既存の12編と書き足した12編の各編の順序を入れ替え、最終的に全24編としてまとめ、「遍歴ホルン吹きの遺稿詩集」(全2巻/ヴィルヘルム・ミュラー編)に収めて出版した。 1826年暮れから1827年のはじめ頃、シューベルトは友人ショーバーの家で「ウラーニア」で発表された「冬の旅」だけを知った。 1827年2月、シューベルトは「ウラーニア」に掲載された「冬の旅」12編への作曲を開始し、数週間で完成させた。 1827年の秋、シューベルトは「遍歴ホルン吹きの遺稿詩集全2巻/ヴィルヘルム・ミュラー編」に収められた全24編の「冬の旅」を知った。順序の並べ替えは、作曲済みの12編にも及んでいた。 1827年9月30日、ミュラー没。 1827年10月、シューベルトは、「遍歴ホルン吹きの遺稿詩集」で書き足された12編への作曲を開始した。何らかの理由(※)により、作曲済みの12編は第1部としてそのまま据え置き、書き足された12編を独自の考えで並べ替えた。(※すなわち、はじめから意図していたのか、仕方なくミュラーに追従したのかである。経緯から後者のように思われるが、これに関する資料は未確認である。) 1828年1月、「ウラーニア」の12編にもとづく「冬の旅」第1部が出版された。 1828年の秋、「遍歴ホルン吹きの遺稿詩集」で書き足された12編にもとづく「冬の旅」第2部の校正刷りが出た。 1828年11月19日、シューベルト没。 1828年12月30日、「遍歴ホルン吹きの遺稿詩集」で書き足された12編にもとづく「冬の旅」第2部が出版。 以下の題名に併記した括弧付き番号は、その題の詩が原作の何番目にあるのかを示している[要出典]。第1部と第2部は、通して演奏される。
※この「各曲の解説」の解説は、「冬の旅」の解説の一部です。
「各曲の解説」を含む「冬の旅」の記事については、「冬の旅」の概要を参照ください。
- 各曲の解説のページへのリンク