司馬遹廃嫡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 08:08 UTC 版)
裴頠は賈南風が皇太子司馬遹を疎ましく思っているのを知ると、司馬遹を守ろうと考え、司馬遹の母である謝玖の位号を高めるよう上表した。また、皇太子を護衛する官吏を増置するよう上表すると、司馬遹には3000の兵が与えられ、東宮においては1万人が宿衛するようになった。また皇太子の取り巻きであった陳匡・韓嵩らに対しても、裴頠は「東宮の存在意義は皇太子を教え導くことにあります。太子は成長して立派な人物として模範となるべきであるのに、未だに侍従らの評判ばかりが聞こえてきます」と釘を刺した。 12月、賈南風は司馬遹を入朝させると、恵帝の命と称して大量の酒を飲ませて酩酊状態に陥らせた上で、自身が帝位の簒奪を狙っているという旨の文章を紙に書き写させ、これを恵帝へと提出した。これを読んだ恵帝は、群臣を集めて司馬遹に死を命じる旨を宣言した。百官は誰も何も言う事が出来なかったが、張華は諫めて「これは国の大禍であります。漢の武帝より今まで、正嫡を廃立する毎にいつも変事が起こっております。その上、我が晋国は天下を有して未だ日も浅いのです。願わくは陛下、よくお調べになられんことを」と述べると、裴頠も「太子の普段の筆跡と比べるべきです。偽物の恐れがあります」と訴えた。だが、賈南風が筆跡が分かる書類十数枚を見せると、これを否定する事はできなかった。しかし裴頠はなおも張華と共に頑なに反対を続けた結果、賈南風は裴頠らの決意の堅さを知り、政変を起こされる事を懸念したため、ついに司馬遹の処刑を諦め、妥協して庶人に落とすよう進言し、司馬衷はこれに同意した。
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