右岸の林内植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:32 UTC 版)
「神路 (中川町)」の記事における「右岸の林内植民地化」の解説
一方で右岸側は、もともと現在の音威子府村北部から中川町北東部にかけて広がる内務省所管の国有林(約2万町歩≒20000ha)の一部であったが、1902年(明治35年)1月札幌農学校所管の第二基本林(その後1907年〔明治40年〕に東北帝国大学農科大学天塩演習林、1914年(大正3年)から同天塩第一演習林、1918年〔大正7年〕からは北海道帝国大学中川演習林)となっていた。 1913年(大正2年)には中川演習林にて林内殖民制度が始まった。これは、林業経営の労働力確保・林地内の農耕適地の地代獲得を目的としたもので、1925年(大正14年)までに85区画355町歩(≒355ha)が設定され、77区画320町歩(≒320ha)が貸し付けられた。 この一環で、当地には右岸側に岡穂内植民地5区画、ホロムイ植民地1区画(前述の左岸側のホロモイとは別)が設定されることとなった。
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