右大将、内大臣就任とは? わかりやすく解説

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右大将、内大臣就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:24 UTC 版)

平重盛」の記事における「右大将、内大臣就任」の解説

承安元年1171年12月清盛の娘・徳子高倉天皇入内したのを機に重盛権大納言復帰する復帰後の重盛は、朝廷公事精力的に勤めた承安3年1173年4月法住寺殿御所火災ではいち早く駆けつけ消火活動にあたり後白河院から称えられた(『建春門院中納言日記』)。同年冬の南都大衆強訴に対しては、院宣により家人平貞能宇治派遣して防備に当たらせた。承安4年1174年7月重盛空席となっていた右近衛大将任じられる。この任官に対して清盛喜び大きく21日拝賀儀式には藤原邦綱以下、公卿10人、殿上人27人が付き従った安元2年1176年正月後白河法皇50歳の賀には重盛一門の筆頭として出席し平氏法皇蜜月ぶりを示した5月重盛改め海賊追討宣旨を受ける。しかし、7月建春門院崩御したことで平氏後白河法皇対立はしだい顕在化することになる。それでも翌年正月には重盛左近衛大将宗盛右近衛大将となり、両大将平氏独占する3月には藤原師長太政大臣となったことで空席となった内大臣任じられる後白河法皇福原訪れるなど、表面的に何事もなく時は過ぎていった。

※この「右大将、内大臣就任」の解説は、「平重盛」の解説の一部です。
「右大将、内大臣就任」を含む「平重盛」の記事については、「平重盛」の概要を参照ください。

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