取れなかった3度目のタイトル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 05:41 UTC 版)
「カルロス・サインツ」の記事における「取れなかった3度目のタイトル」の解説
1996年はWRC初開催のインドネシアで勝利を挙げると、翌1997年もアクロポリスとインドネシアで2勝を挙げる。しかしチーム運営がフォードモータースポーツからワークス経験の乏しいマルコム・ウィルソン・モータースポーツ(現Mスポーツ)へ移管される中で思うようなマシン開発が出来ず、三菱とスバルの後塵を拝し続けた。そのため、サインツは1997年の終盤を待たずに古巣トヨタへの移籍を発表する。 1998年は開幕戦モンテカルロでトヨタでの復帰後初の勝利を挙げると、中盤戦のニュージーランドではライバルを圧倒。2度目の勝利を挙げ、スバルのマクレーや三菱のトミ・マキネンと再び熾烈なタイトル争いを繰り広げた。最終戦グレートブリテンではポイントリーダーのマキネンが初日のSS1でクラッシュし、タイトルはサインツの手中におさまると思われた。サインツは確実にフィニッシュを目指したが、最終SSのゴールまで300メートルを残してカローラWRCがエンジンブローで力尽き、またも3度目のタイトル獲得は叶わなかった。 1999年は個人タイトルには絡めなかったものの、安定した走りでトヨタのマニュファクチャラーズタイトル獲得に貢献する。終盤戦のサンレモで、TTEはF1参入のためこの年限りでWRCから撤退することを表明。サインツは再びフォードに復帰することになる。 2000年、2001年、2002年と3シーズンをフォードで過ごしたが、ラフロード走行に強い傾向にあったフォーカスWRCでは散発的に優勝するも勝ちを重ねることはできなかった。また、2000年に本格的にWRC復帰をしたプジョーの206WRCが圧倒的な速さを見せ、タイトル争いには絡めなかった。
※この「取れなかった3度目のタイトル」の解説は、「カルロス・サインツ」の解説の一部です。
「取れなかった3度目のタイトル」を含む「カルロス・サインツ」の記事については、「カルロス・サインツ」の概要を参照ください。
- 取れなかった3度目のタイトルのページへのリンク