反乱の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:36 UTC 版)
1568年、オラニエ公ウィレム1世は弟ローデウェイクらとともにネーデルラントに侵攻し、アルバ公に戦いを挑んだが、これは失敗に終わり、フランスに逃げ込むことになった。フランスでユグノー勢力と合流したオラニエ公らは、軍船をかき集めて海賊船団を設立した。イングランドのドーバーやフランスのラ・ロシェルを根拠地として通商破壊戦を展開した。これがいわゆる「海乞食」(ゼーゴイゼン、ワーテルヘーゼン)である。 1572年4月、26艘の船団に搭乗したおよそ250人の「海乞食」軍団はマース川の河口にあるブリーレの町の占拠に成功した。その後、ブリーレを根拠地に周辺の港町を幾つか攻略し、ホラント州およびゼーラント州内の水上交通網を押さえる戦略に出た。この結果、多くの都市がオラニエ公側に寝返り、7月までに26都市がオラニエ公側に付くこととなった。この月、ホラント州議会はオラニエ公ウィレムを州総督に任命する。 アルバ公側も反撃に出たが、オラニエ公側の守りを崩すことは出来ず、1574年10月のレイデンヘ攻防戦に勝利を収めたオラニエ公は、ホラント州およびゼーラント州を実効支配するに至った。その後、各地からプロテスタントがホラント州およびゼーラント州に逃げ込み、この2州の政治の実権はプロテスタントが握るようになった。
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