厳格故意説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/05 02:56 UTC 版)
この説は、違法性の意識(実行行為が法律に違反するという意識)があるにもかかわらず、敢えて違法行為を実行するところに、故意犯として非難すべき根拠があると解する。 つまり、違法性の意識の有無は、故意と過失とを分かつ分水嶺であると考えることができ、「敢えて行った」ことに対して故意を厳格に認めるべきであるという見解である。厳格故意説によると、刑法38条3項は「法規の認識」が不要であることを定めたものと解されることになる。 しかし、この学説には以下の批判がある。 常習犯や確信犯には、そもそも違法性の意識がないため、故意犯の成立が否定される。 違法でないと軽信しただけで故意犯の成立が否定されうる。 刑法38条3項が上記のように単なる確認規定であると解するのは、現行刑法の解釈として疑問がある。 この説によると、高度の法的知識を備えた者のみに故意を認めうることともなり、妥当ではない。 したがって、違法性の意識を故意の要件とすることには問題がある。 そこで、こうした批判を意識した見解は、違法性の意識の内容を緩和し、法的な禁止の認識のみならず、前法的な規範違反(社会的有害性など)の認識で足りるとしている。なお、「違法性の意識を欠いたことに過失があった」場合、故意犯の成立が否定されるだけなので、(過失処罰規定があれば)過失犯が成立する余地はあることになる。
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