博打打ち時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/18 20:08 UTC 版)
賭博で3億の借金を負ったことで、組に迷惑をかけまいと思い組に破門状を出してもらい、フリーの博打打ちになる。組長から3000万を預けられ、抗争資金の捻出を依頼される。 2度目の、懲役刑が終わって出所した直後に、大阪のコーリャン・クラブで働いていた韓国人女性(現在の鈴木夫人)に出会う。その韓国人女性が不慮の事故で、膝の皿を割り全治三カ月と診断された。しかし、彼女自身と教会のいやしの祈りにより奇跡的に回復する。この奇跡を見て、キリストの力を博打で生かそうと思い自ら教会に出席するようになる。 そして、1988年(昭和63年)12月5日の教会で結婚式を挙げる。 奇跡的に3億の借金を清算することができたが、1990年(平成2年)3月、他の組の親分から預かった活動資金を博打に使い込んだことから再び命を狙われる身となる。 大阪から逃亡し、東京都新宿の歌舞伎町に愛人と共に潜伏するようになる。逃亡生活のストレスで不整脈、慢性疲労症候群、自律神経失調症などを患い、通院するが、自殺を考えるほどに追い詰められる。逃亡生活から9か月目の12月に近所の新大久保にある東京中央教会という韓国人系の教会に駆け込む。駆け込んで3日目の礼拝でに日本人副牧師の平塚正弘から「誰でも変わることができる」と声をかけられて回心する。すぐに、新幹線で大阪に戻り妻と再会する。
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