南口の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:18 UTC 版)
かつて南口側には駅舎は無く、駅裏側には国鉄新潟鉄道管理局時代からの車両基地である「新潟運転所」が存在していた。その後、上越新幹線の建設開始と併せて南口駅舎の新設が決定したのに伴い、1974年に電車・客車の車両基地機能は上沼垂運転区(現:新潟車両センター)へ移転したが、気動車の基地は移転の目途が立たず、新幹線開通に間に合わない状況となった。やむを得ず運転所を挟んだ位置に駅前広場を設け、2本の連絡通路を順次開設して駅舎へのアクセスを確保したものの、南口駅舎と駅前広場の間にはこの基地が長らく残ったため、利用者からは不便を訴える声が絶えなかった。1991年に新津運転所(現:新津運輸区)が開設され、ようやく全ての車両基地が撤去されたものの、跡地はその後、日本国有鉄道清算事業団に所有権が移り、一時遊休地となった後、駐車場として長らく暫定的に供用され、駅前広場も従来の位置のままであった。 南口側には駅舎へ徒歩で直接アクセスできる出入口がなかったことから、利用者からは改善を求める意見が度々寄せられていた。JR東日本新潟支社などはこれに呼応して2000年6月30日、南口駅舎から南口駅前広場に直通する「南中央口」の暫定供用を開始した。南口駅舎の中央部に設けられた中央口は、東口改札から階段・エスカレーターで1階に繋がっており、管理用道路を横断した先から、南口側の駐車場を挟んで駅前広場へと通じていた。
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