医科大学予科
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 20:56 UTC 版)
第二次世界大戦の終結後、1946年から1947年にかけて、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、医学歯学教育を大学教育に一本化する方針を打ち出し、旧制医学専門学校および旧制歯科医学専門学校をA級校とB級校に判別し、A級校は旧制大学に昇格させ、B級校は戦後特設高等学校に転換するとした。終戦後に旧制大学に昇格した医科大学(A級校)の多くは、旧制高等学校卒業者獲得が困難と判断されたため、旧大学令に基づく3年制の大学予科を設置した。 1949年、学制改革により、医学部・歯学部の入学資格は「大学2年修了者で特定の要件(科目および単位が規定された)を満たす者」となった。また、そのころ医学部・歯学部の入学資格を新制短大卒業者に変更する議論があり、方向が定まらなかったので、「大学2年修了」という条件を満たすため戦後昇格した官公私立医科大学予科の多くは1949年から「入学資格を新制高等学校卒業程度とする二年制の旧大学令に基づく教育機関で、修了者は新制大学の医学部・歯学部に入学する」という変則状態で1955年まで存続した。1955年、新制に切り替わり、医学部・歯学部進学課程(プレメディカル)となった。 官立大学で唯一の予科である東京医科歯科大学予科は、1950年千葉大学に包括された。これについて千葉大学は「1950年学芸学部が文理学部と教育学部に改組」とし、東京医科歯科大学は「千葉大学では東京医歯大予科を核として文理学部が開設され、東京医歯大の医学部40名、歯学部60名の教育(進学課程)をも受け持つことになった」としている。1955年東京医科歯科大学が千葉大学文理学部に医学部と歯学部の進学課程を設置し、1958年東京医科歯科大学に進学課程(国府台分校)が設置されるまで、これを千葉大に置いた。
※この「医科大学予科」の解説は、「大学予科」の解説の一部です。
「医科大学予科」を含む「大学予科」の記事については、「大学予科」の概要を参照ください。
- 医科大学予科のページへのリンク