医化学の発展と精油療法の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 02:14 UTC 版)
「アロマテラピー」の記事における「医化学の発展と精油療法の衰退」の解説
「医学史#近代医学」も参照 19世紀にはいると合成香料が誕生し、徐々に工業生産されるようになった。1876年にウィリアム・パーキンがクマリンの合成に成功し、1882年にフランスのウビガン (Houbigant) 社がクマリンを使って香水「フジェール・ロワイヤル 」(Fougere Royale)を発表した。この香水は高く評価され、人工香料による香水の製造が本格的に始まった。オットー・ヴァラッハ(1847年 - 1931年。ノーベル化学賞受賞)、アウグスト・ケクレ (1829年 - 1896年)、レオポルト・ルジチカ(1887年 - 1976年、ノーベル化学賞受賞)らの研究で、多くの人工香料を安価に製造できるようになり、高級品であった香水は一般に普及した。 1804年には、ドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナー(1783年 - 1841年)によって、初めて阿片から有効成分モルヒネが分離、抽出された。これによって薬用植物の有効成分が化学物質であることがわかり、以降植物から薬効成分だけを抽出する研究が進み、薬剤として用いられるようになった。 こうした化学・近代医学の発展で、天然香料のみを使った自然香水や、精油を用いるヨーロッパの伝統医学(医療錬金術、錬金術的医学)は下火になっていった。
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