北尾政美時代とは? わかりやすく解説

北尾政美時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 03:09 UTC 版)

北尾政美」の記事における「北尾政美時代」の解説

北尾重政門人。姓は赤羽俗称三二郎あるいは三治郎。皐(さんこう)と号し、父は畳職人だったことから、俗称合わせて仲間から「畳屋の三公」と呼ばれた皐の号は、これと住居堀留杉森新道現在の中央区日本橋堀留町1丁目)にあった事に因む狂歌名は麦蕎雄智、戯作名は気象天業など。 13歳重政入門安永7年1778年)の咄本小鍋立』(作者不明、一冊)が挿絵初筆とされ、巻末に「北尾重政門人三治郎十五歳画」と署名している。安永9年1780年)に、黄表紙6種の挿絵描き、また窪俊満作の、『浦山太郎兵衛 竜宮の巻』三巻、『桃太郎宝噺』三巻関わり、「北尾門人三二郎」と款している。この年、師より「政美」の名を許され、翌天明元年1781年以降武者絵浮絵花鳥画などを手がけている。同年には俊満作の『異国見世吉原』(ひとのくにへでみせのよしわら三巻など、黄表紙8種と咄本寿盃』(きくじゅのさかづき)二巻1冊(伊庭可笑作)の挿絵描いた生涯168種の黄表紙挿絵を手がけ、その他絵本含め240種ほどを描いている。一方錦絵作画量は、同時代浮世絵師比べて少なく肉筆画も稀である。

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