北信愛の活躍とは? わかりやすく解説

北信愛の活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 22:44 UTC 版)

北氏」の記事における「北信愛の活躍」の解説

北信愛は、南部氏一門長老として歴史登場した。すでに八戸氏九戸氏に続く勢力有していたとみられる元亀2年1571年)から始まった屋裏の変では、南部信直保護し南部晴政争った南部晴継死去後には強引な手段によって南部信直26惣領の座につかせた。このため信直の側近として重用され外交・軍事活躍した天正18年1590年)、南部氏秋田氏比内郡争った際、信愛の子・愛邦が戦死した。また信愛の弟・北弾正は、比内郡南部側につき秋田氏攻められていた五城兵庫救援向かい大館表の戦いで討死した。ただし弾正はいったん落ち延び五城目領で自害したとも伝わり自害した地には弾正家臣12名(計13人)を祭る十三騎神社建てられている。 天正19年1591年)に九戸政実の乱が起こると、九戸方につき南部氏によって滅亡した一戸氏旧領北一族は与えられ九戸政実への押さえとなった長男・彦助愛一(定愛)は剣吉城から移って寺田館を領し次男主馬尉秀愛(直愛)は一戸城領した。秀愛は九戸方の一戸猛攻に耐え、その功で乱後花巻城8000石を得ている。しかし秀愛は慶長3年1598年)に死去花巻城代は父・信愛継いだ。ただし秀愛は一戸城戦いで戦死したとも伝わるため、『一戸町誌 上』では秀愛の花領有疑問視する。 慶長18年1613年)、信愛没する花巻城代たる北氏断絶藩主南部利直次男・政直が新たに2万石で花巻城入った。ただし主命によって、信愛の五男(三男)で2000石を有していた愛継(直継)が、秀愛の名跡信愛以来北氏祭祀継承した長男愛一が分家していたためとみられる

※この「北信愛の活躍」の解説は、「北氏」の解説の一部です。
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