包公故事と清官文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 18:44 UTC 版)
生前から庶民に人気があった包拯であるが、没後その名声はさらに高まり、特に南宋・元以来、包公故事(伝説)は広く語り伝えられた。結果、庶民に崇拝される特異な人物像が創り上げられ、後世の人々に伝えられて行った。包拯は清官(清廉潔白な官吏)の典型とされ社会に清官文化をもたらしたが、その故事中には正史『宋史』等にない逸話が多く歴史的事実かどうかという点で疑問視されている。 『宋史』以外に見られる宋代の記事は下記が知られている。 沈括(しん かつ、1030年 - 1094年)撰『夢渓筆談』卷二十二 謬誤 譎詐附「包孝肅尹京」の条。この話は『棠陰比事』91の出典。 徐度『卻掃編』巻中 「包孝肅公之尹京也」の条。。 彭乗『墨客揮犀』巻一 冒頭。 司馬光『涑水記聞』巻十 「嘉祐七年五月辛未」の条。包拯薨去の記事と『宋史』にある評判記。 桂万栄 撰『棠陰比事』(刊行1211年?、元版系)の46「包牛割」、91「孝肅杖吏」は包拯の逸話であるが、前者は多くの故事・伝説の中で唯一『宋史』包拯伝の最初にある逸話であり、この事案は事実とされている。後者は沈括『夢渓筆談』からの収録。
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