勝利に対する報酬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 18:35 UTC 版)
共和政時代の伝統では、ローマ元老院のみが凱旋式実施の許可を出す権利を持っていた。戦いに勝利し、凱旋式を希望する将軍は、その旨を伝える使者を元老院に送った。公式には、凱旋式は傑出した勝利への見返りとして実施された。勝利に加えていくつかの条件が満たされれば、時と場合により異なるようだが、国庫から資金が提供され、少なくとも公式のパレードの費用は元老院が支払った。ほとんどのローマの歴史家は元老院での議論内容と投票結果、民会での承認を記している。このようにして、元老院とローマ市民は国家財源と将軍に対する支出あるいはその抑制を行うことができた。幾つかの凱旋式は、大きな議論もなく完全に認められている。いくつかは元老院が認めなかったものの、将軍自身が市民に直接アピールしまた自身の支出で競技会の開催を約束することにより、結局は実施されている。多くの場合は、長々とした議論の後、拒絶あるいは承認されている。将軍も元老院議員も共に政治家であり、ローマの政治家は、協力、裏切り、非公式の取引、賄賂などで悪名高かった。元老院での議論は、凱旋式の伝統、先例、そして妥当性であった。将軍自身の政治的・軍事的権力や任期、さらには凱旋式を実施した場合のその後の影響も議論された。元老院が凱旋式実施を許可する正式の「凱旋式法」があった訳ではないが、ウァレリウス・マクシムス(1世紀の歴史家)は、少なくとも一つの戦闘で5,000以上の敵兵を倒した場合にのみ実施できると述べている。 帝政時代になると、凱旋式は帝国の権威と正当性の示威としてより政治化された。
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