加茂井の旧跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 09:15 UTC 版)
夫婦樋=川西市小戸3丁目24に作られていた水門で、2組で1式の木製の樋門。昭和47年(1972年)の加茂井水路改修により撤去されたが、鴨神社内に移設されている。 七つ石=栄根2丁目2にあった水路上に設置された7個の石。栄根村に分水する水量調整の役割を果たしていたが、設置時期は不明。昭和47年(1972年)の加茂井水路改修により撤去されたが、鴨神社内に移設されている。 内樋・外樋=久代字響と久代新田の境に設置された下加茂1丁目21番地先の最明寺川右岸の内樋と、下加茂1丁目23番地先の最明寺川左岸に設置されていた外樋は、いずれも農業用水の流量を調節する目的で設置されていたが、昭和44年中国自動車道を新設する工事とあわせて行われた水路改修の際に撤去され、久代にある春日神社に移設された。 分水石=久代1丁目1番地先にある加茂井と藻川の分岐点に木製の樋が36本打ち込まれ、さらにその南に約2トンの分水石が設置され、農業用水分水の役割を担っていたが、付近の住宅開発や中国縦貫自動車道の建設に伴い、分水石は昭和43年、36本樋は昭和49年に撤去され、久代の春日神社に移設されている(36本樋は腐食がひどかったため模型)。 加茂井水利組合記念碑=川西市小花1丁目。川西能勢口駅周辺地区の再開発事業の施行にともない整備された暗渠について解説した石碑。平成11年7月に加茂井組水利組合によってかつての水路跡に設置された。 瀧地蔵=伊丹市北本町の瀧地蔵は、崖の高所を流れる加茂井から引いた水の流れを瀧に見立てて祭られたものである。祠は緑道より3mほど低い位置にありコンクリートの台座に設けられている。諸々の願い事成就や歯痛を治す功徳があり、昭和初期には花街の女性の願掛け地蔵だったようである。
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