創設・武装化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 00:18 UTC 版)
その後、インテラハムウェは1992年初めにMRNDDの青年部として作られ、当初は武装組織ではなかったが、その後急速に武装化していった。MRNDDに限らず、ルワンダの各政党は自前の青年部を持っており、彼らは主として、党の支持を訴えるデモを行ったり、集会を開く、集会で党旗をふるなどの役割を担っていた。インテラハムウェはキガリ周辺の失業した若者に声を掛けてメンバーを募った。当時のキガリ周辺には、ルワンダ北部のRPF支配地域から追い出されて国内難民化した人たちが難民キャンプを作っており、恰好のターゲットになった。インテラハムウェにはフツだけでなくツチも参加していたことには留意しておく必要がある。 インテラハムウェが他の青年部と違っていた点は、軍やMRNDDの強硬派が軍事訓練を施した点である。ただし、インテラハムウェの全員が民兵化したわけではない。この点は、ICTRの判決文でも認定されている。武装化や軍事訓練がいつ頃から始まったのか、その正確な数がいくらだったのかは不明である。 ただし、軍事訓練開始の大まかな時期はわかっている。ICTRの判決文の認定によれば、インテラハムウェの軍事訓練は1992年から1993年にかけて始まった。ただ、これがインテラハムウェの武装化を目的としたものだったのか、それとも民間防衛システムの一部として行ったものなのかはよくわからない。 インテラハムウェと民間防衛システムとは組織として互いに重なり合っている一面があるが、インテラハムウェの全メンバーが民間防衛システムの中に組み込まれたわけでもなく、また、民間防衛システムの参加者が全員インテラハムウェのメンバーだったわけでもない。また、インテラハムウェが軍事化したとは言っても、組織的に軍事化されたわけではなく状況はアド・ホック、カオス的だったのが実態である。
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