創設 - 戦間期のカトリック知識人の拠点
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「スイユ出版社」の記事における「創設 - 戦間期のカトリック知識人の拠点」の解説
スイユ出版社は、1935年11月、パリ14区パルク・ド・モンスーリ通り(フランス語版)(モンスーリ公園通り)23番地の自宅で広告代理店を営んでいたスウェーデン出身のアンリ・シェーベリ(Henri Sjöberg)によって創設された。シェーベリがこのとき刊行したのは自作の詩集『輪舞曲』と戦間期に活躍したカトリック知識人プラクヴァン神父(フランス語版)の『子どものためのキリスト教生活の手引き』の2冊であった。 フランス語で「敷居」を意味する « seuil » を社名にしたのは、まだ作品を発表したことのない若手の作家が著名な作家との間にある「敷居を跨ぐ」ことができるように、彼らの作品を積極的に紹介しようという意図であった。 シェーベリは創設2年後の1937年に病に倒れ、プラクヴァン神父に紹介された2人のカトリック教徒に出版社の経営を委ねた。宝石商のポール・フラマン(フランス語版)と陶器商のジャン・バルデ(フランス語版)であり、2人は合資会社を設立し、パリ6区ポワトヴァン通り(フランス語版)1番地のアパートに編集部を置いて、同じカトリックの知識人の書籍を年に数冊刊行する程度の小規模な活動を行った。 第二次大戦中は2人とも出征し、出版活動は中断された。再開の契機は、1943年に、ボーイスカウト運動の指導者ギィ・ド・ラリゴーディ(フランス語版)(1940年に戦死)の思想を『はるか沖合の星(Étoile au grand large)』として出版し、スイユ社初のベストセラーになったことであった。
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