創立後10年間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:23 UTC 版)
「日東交通 (千葉県)」の記事における「創立後10年間」の解説
房総地区においても、三日月自動車や安房自動車、房州自動車などといった数社の乗合自動車会社が設立された。しかし、1923年(大正12年)に発生した関東大震災を境に経済恐慌が起こり、不況の波は南房総の地にも押し寄せた。ほとんどが弱小基盤にあったバス事業者は少資本で過当競争に耐えられず、合同会社を設立するに至った。 1927年(昭和2年)3月、安房郡北条町(現:館山市)に本社を置く安房自動車と、安房郡白浜村(現:南房総市白浜町)に本社を置く房州自動車が合併し、安房合同自動車が設立された。これが現在の日東交通の法人としての母体となる。 創立当初は、合併により過当競争は終息したものと思われたが、不況の波は国内経済を行き詰まらせ、安房合同自動車も経営難に陥った。このとき予想外の事態が発生する。鉄道省は1933年(昭和8年)、白浜町・千倉町(現:南房総市千倉町)など7町村を基盤として省営自動車の運行を決定した。鉄道のない当該地域は安房合同自動車のドル箱路線を擁していたが、当時の鉄道省は重複区間で乗合自動車の運行を開始した。こうして重点路線の廃止という憂き目を見た安房合同自動車は、保田(現:鋸南町)・平群(現:南房総市富山地区)各方面への山間路線新設などで強化を図り窮地を乗り越えた。この期間は、苦難の連続だった一方で会社の基盤を造る期間でもあった。
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