創立から皆実町校舎東雲町校舎までとは? わかりやすく解説

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創立から皆実町校舎・東雲町校舎まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 01:51 UTC 版)

広島師範学校」の記事における「創立から皆実町校舎・東雲町校舎まで」の解説

1874年明治7年7月白島学校として設立され当時広島県師範学校は、市内(この時点では広島区内東白島町真木家宅を仮校舎としていた。翌1875年明治8年7月校舎西白島町山林社に移転し、ここに残されていた藩政時代以来施設(かつて運上場が置かれていた)を利用した1877年官立師範学校廃止されるとその施設そのまま師範学校継承されることになり、同年3月、まず市内立町官立師範学校跡地移転、さらに7月には当初官立師範学校新校舎として建設進められていた竹屋町校舎竣工したためここに移転した。しかし1879年明治12年7月本校内規宿舎失火によりほとんどの校舎焼失し、翌11月皆実町への一時移転経て1880年明治13年3月には下中町現在の中町)の広島県中学校校地移転し一時期同校校地共用していた。1901年明治34年7月になって市内比治山下の皆実(のちの皆実町 / ただし現在は南区比治山本町町域となっている)に新築された校舎移転した皆実町校舎)。皆実町校舎長く使用されたが老朽が目立つようになり、1941年昭和16年9月には東雲町1946番地新築校舎移転したこの際予科生寄宿舎のみが皆実町校地残された)。

※この「創立から皆実町校舎・東雲町校舎まで」の解説は、「広島師範学校」の解説の一部です。
「創立から皆実町校舎・東雲町校舎まで」を含む「広島師範学校」の記事については、「広島師範学校」の概要を参照ください。

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