利仁流加藤氏とは? わかりやすく解説

利仁流加藤氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 22:16 UTC 版)

加藤氏」の記事における「利仁流加藤氏」の解説

加藤氏初代思われるのは源頼義仕えた武士藤原景道で、加賀介となったことから加賀藤原略して加藤」を称するようになったとされる。景道の孫といわれる加藤景廉源頼朝の挙兵参加し平家滅亡して鎌倉幕府成立する鎌倉御家人となった頼朝から安田義定を討つように梶原景時とともに加藤景廉も命ぜられた。後に遠江国浅羽荘の地頭職得たが、梶原景時討たれた際、景廉は景時と親しかったためか所領没収された。 その末裔としては、美濃遠山氏やその係累である加藤光泰系の加藤氏挙げられるが、なかでも異色の経歴を持つ者は賤ヶ岳の七本槍一人加藤嘉明である。嘉明系加藤氏はもとは岸氏を名乗っていたとされ、父である岸教明の名が文献にみえる。嘉明の祖父加藤朝明は、元来甲斐武田氏家臣であったが、何らかの事情があり、三河国移住し徳川家康祖父松平清康、父松平広忠仕えたとされるが、嘉明の作成した系図以外にその名は見えず、また加藤氏加藤景泰猶子となったことから使用はじめたとされる光泰加藤氏系図がつながるのはそのためである。父である、岸教明は三河一向一揆加担して松平氏退去し尾張織田家仕え、後の豊臣秀吉見出されたという。

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