初期 / アカデミカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 03:11 UTC 版)
「エデルジト・アントニオ・マセド・ロペス」の記事における「初期 / アカデミカ」の解説
ギニアビサウのビサウに生まれたエデルは、10代でポルトガルへ渡り、12歳の時にコインブラ県を拠点にするADCアデミア (Associação Desportiva e Cultural da Adémia) でキャリアを始めた。FCオリヴェイラ・ド・ポスピタルとGDトゥリゼンセでシニアデビューをした後、3部を戦うアカデミカ・コインブラのBチームへ移籍した。 2008年8月24日のCFエストレラ・アマドーラ戦(アウェイ0-1敗北)で1部を戦うトップチームで初出場し、シーズン最終節のアソシアサン・ナヴァル・プリメイロ・デ・マイオ戦で初得点を記録。また、シーズン中の2008年11月13日にクラブと契約を2012年まで延長した。 2010年5月2日のCDナシオナル戦 (3-3) で決勝点を挙げたかに思えたが、終了間際に得点を許し引き分けに終わった。しかし、2012年12月9日の試合では同クラブ相手に2得点を挙げ今度は4-0で勝利した。同年1月29日、クラブ間合意に達していたイングランド2部のウェストハム・ユナイテッドFCと交渉がなされるも、この移籍が自身にとって最善ではないと感じたエデルは会談を終わらせ、その後アカデミカ側へ報告もせずに姿を消したことから始まった一連の騒動で練習に参加することを禁じられた。そのため、1月18日のリオ・アヴェFC戦 (0-0) を最後に出番はなく、最終的にリーグ戦は16試合5得点で終了。また、タッサ・デ・ポルトガル決勝でスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルを破り、クラブは1939年以来2度目となる同大会でのタイトルを獲得したが、その場にエデルの姿はなかった。
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