初期の韓国独立党
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1930年1月、趙素昻(朝鮮語版)らに従って臨時政府傘下の政党を結党した。1935年5月、解党を宣言した後の7月に新韓独立党(朝鮮語版)や義烈団、朝鮮革命党(朝鮮語版)、大韓独立党(朝鮮語版)と共に朝鮮民族革命党(朝鮮語版)を合併した。だが民族革命党が社会主義系列の金元鳳と義烈団系に従うと主導的な立場の趙素昻らは7月15日に民族革命党を脱党し韓国独立党を再建した。一方民族革命党に参加する反対派の金九は、1935年11月に韓国民族党(朝鮮語版)を結党し、池青天はやはり1937年に民族革命党を脱党し朝鮮革命党(朝鮮語版)を結党した。韓国独立党は疑心暗鬼の両党と合同を論議し、1937年8月1日に右翼系列の独立運動団体の連合体韓国光復運動団体連合会(朝鮮語版)を結成した。1939年には韓国独立党を含む韓国光復運動団体連合会傘下の団体と左翼系列の独立運動団体の連合体朝鮮民族前線連盟(朝鮮語版)傘下の団体間の統合論議が進行して、左右を合わせる独立運動団体の連合体全国連合陣線協会(朝鮮語版)が結成された。
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