初代 JR120/130型(1981年-1991年)
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「いすゞ・ピアッツァ」の記事における「初代 JR120/130型(1981年-1991年)」の解説
二代目モデルもプラットフォームをジェミニと共有する。いすゞは、ゼネラルモーターズ向けに生産した三代目ジェミニの派生車種「ジオ・ストーム」をベースに、北米市場で「いすゞ」ブランドで展開する乗用車として2代目「インパルス」を開発、1990年より北米で発売する。ストームをベースとして派生モデルを作成することは、同車開発時より考慮されていたことである。インパルスは当初から日本への展開も予定されており、1991年8月より日本国内向けに仕様を変更して、ニ代目ピアッツァとして販売が開始された。エンジンはジェミニに搭載される4XE1のボア(80mm)をそのままに、ストロークを延長(79→90mm)した4XF1型を搭載。グレード名の「181XE」や「181XE/S」の“181”とは4XF1の総排気量約1.81L(厳密には1,809cc)を表した。 デザインは「インパルス」、「ピアッツァ」ともに中村史郎が担当し、スマートな形状のストーム・ジェミニクーペに対して、力強さをアピールし、がっちりとしたフォルムを出すことで差別化を図っている。前後のエアダムスポイラーと可動式ヘッドランプカバーが外観における特徴となっている。 1994年12月] -生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1995年1月 - 販売終了。 いすゞの乗用車自主生産撤退により、本車がいすゞが開発した最後の乗用車になった。総生産台数はいすゞからは公表されていないが、米Ward's Communications発行のWard's Automotive Yearbook誌によると米国販売台数は9,716台、カナダ販売台数は4,579台となっている。なお、日本国内での販売期間中の新車登録台数の累計は2,006台で、トヨタ・セリカや日産・シルビア、マツダ・RX-7など、同クラスに強力なライバルがいたこともあって販売が低迷していた。
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