出生からスペイン内戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 02:49 UTC 版)
「オスカール・ディルレヴァンガー」の記事における「出生からスペイン内戦まで」の解説
ディルレヴァンガーは1895年、ヴュルツブルクに生まれた。第一次世界大戦では一年志願兵としてバイエルン王国陸軍に入隊。負傷を重ねて後送されたが再び前線勤務に志願。少尉に任官して機関銃中隊を指揮し、一級および二級鉄十字章の両方を受章した。 戦後はさまざまなフライコールに参加し、ルール蜂起および上シレジア地方にて戦う。義勇軍活動の間にフランクフルト・アム・マイン大学で政治学を学び、1922年に政治学博士号を取得した。 1933年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)へ入党するが、結局追放される。一年後に再入党。このときの党員番号は#1,098,716であった。また親衛隊にも入隊、SS番号は#357,267であった。 この頃、ディルレヴァンガーは、銀行員、教師など様々な仕事に就いている。また武器の不法所持や横領で繰り返し有罪判決を受けている。 1934年、ディルレヴァンガーは、ドイツ女子同盟のメンバーであった13歳の少女に性的暴行を加えた罪、及び公用車を飲酒運転し車両に損害を与えた罪で逮捕され、有罪判決により2年の禁固刑が宣告された。このことにより、ディルレヴァンガーはこれまでに得た職、博士号並びに軍での名誉を全て失った。収監されていたルートヴィヒスブルク刑務所から釈放された後、ヴェルツハイム強制収容所に勤務する。そこでゴットロープ・ベルガーと友人となる。 ディルレヴァンガーは、1936年から1939年まで、当初はスペイン外人部隊に志願、スペイン内戦にコンドル軍団の義勇兵として参加し、3度負傷した。この負傷は彼の名誉回復に貢献した。また、ナチ党の支援もあり、フランクフルト・アム・マイン大学によって一度は失った博士号も回復された。
※この「出生からスペイン内戦まで」の解説は、「オスカール・ディルレヴァンガー」の解説の一部です。
「出生からスペイン内戦まで」を含む「オスカール・ディルレヴァンガー」の記事については、「オスカール・ディルレヴァンガー」の概要を参照ください。
- 出生からスペイン内戦までのページへのリンク