写経所文書の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 05:45 UTC 版)
『大日本古文書』編年文書(25巻)の第7巻(追加)以降では、元の写経所文書の状態に近づけるよう編集されているが、不十分な点も多かった。 建築史家・福山敏男は『大日本古文書』に収められた石山寺や法華寺関係の史料に注目し、錯綜していた写経所文書の復元考察を行った。福山の研究によって法華寺金堂の建設(759-760年)や石山寺の整備(761-762年)における諸経費や資材の調達、従事した職人の数など造営の過程が浮かび上がった。なお、写経所文書に石山寺や法華寺の史料が含まれる理由としては、造東大寺司写経所及び造石山寺所、(法華寺)造金堂所などの別当を務めた安都雄足あるいはその周辺の人物の存在が考えられている。 以上のように、律令公文を中心に研究が始まり、次いで寺院造営関係の文書が注目されてきたが、これらは膨大な文書の一部である。1980年代以降、写経所の事業自体の研究や写経所文書の復元などが進められている。史料編纂所では原型復元の成果として『正倉院文書目録』(1987年-)を刊行している。他にも『正倉院文書研究』(吉川弘文館)をはじめ、多くの研究がある。
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