写野(まの)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:26 UTC 版)
初登場時は江戸の蔦屋重三郎の店「耕書堂」の使用人だったが、実は現代人。20年以上前に当時美大の学友だった設楽・百合と共に馬喰町の孤穴稲荷の井戸を発見し、三人でしばしば江戸に遊びに行き、そこで浮世絵の版元蔦屋(唐丸)と知り合う。設楽が描いた絵が彼の目に留まり、設楽が絵を、写野が版彫りを、百合が彩色を担当した浮世絵が、写野の「写」と設楽の「楽」をとって「東洲斎写楽」の雅号で販売された。百合に思いを寄せるも彼女の心が設楽に傾いていると感じ、それを阻止すべく彼女を蔵に監禁したが、偶然近所で発生した火災で彼女は焼死した。江戸で一晩を明かしたため現代に帰れなくなり、以後百合を弔って暮らす。罪が露見することを恐れ、放火の罪を設楽に着せて彼を江戸に来られないようにした。その後知り合った銀二に「写楽」の正体を明かすが、江戸・東京間を自由に往復する銀二を危険視し、更に都市部で流行した奇病「江戸わずらい」(正体は脚気)に乗じて一儲けを企むが、結果的に銀二によって頓挫したたことで彼に対し殺意を抱く。
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