円谷特技プロダクションへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 08:56 UTC 版)
「川上景司」の記事における「円谷特技プロダクションへ」の解説
1963年(昭和38年)4月12日、円谷英二が特撮制作プロダクション『株式会社円谷特技プロダクション』を設立。円谷に演出家として招かれ、「一番弟子」である川上は松竹を退社し、同プロ創設と同時に入社。円谷特技プロは間もなく日活・石原プロモーション製作の映画『太平洋ひとりぼっち』(市川崑監督)の特撮部分を受注。「特殊技術」名義で特撮を担当する。 同年、東宝で特撮映画『海底軍艦』(本多猪四郎監督)が企画されるが、急遽正月興行が決まり、特撮部分の撮影期間が1か月に満たない非常事態となった。困り切った円谷英二監督は、中野昭慶助監督の進言で3班体制を採ることにし、川上を東宝に呼んでB班監督を任せた。 1964年(昭和39年)、円谷特技プロがテレビ特撮映画『ウルトラQ』(TBS)の製作を開始。川上は特技監督として計11本に参加。また、『ウルトラQ』撮影風景のスナップにも川上の姿が多く存在している。 1965年(昭和40年)、東宝傘下の円谷特技プロの現状に不満を覚え、制作上の意見の相違もあり、「自由な映画作りがしたい」として同プロを退社。
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