内閣官房副長官起用の経緯
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2001年(平成13年)12月22日に発生した九州南西海域工作船事件の際に、当時警察庁警備局長だった漆間が、防衛庁(当時)よりも早く北朝鮮の工作船であると断定し、「重装備の可能性が高い」と指摘していたことや、北朝鮮全般に詳しいことが、当時、内閣官房副長官だった安倍晋三の信頼に繋がったとされる。 2007年の警察庁長官退任にあたり、官邸のインテリジェンス機能の強化を図る意味合いで、安倍内閣で内閣官房副長官就任の話があった。しかし、この年の参議院選挙で自民党が惨敗した結果、安倍が動きがとれずに退陣に追い込まれ、内閣が短命に終わったため実現しなかった。 麻生内閣誕生のおりには、漆間のほか、嶋津昭・地域総合整備財団理事長(元総務事務次官、旧自治省出身)、香山充弘・自治医科大学理事長(元総務事務次官、旧自治省出身)も内閣官房副長官候補として有力視されていた。各省庁の事務方の調整を担う事務担当の副長官には、旧内務省系官庁の中でも、旧自治省・旧厚生省の事務次官経験者が任命されることが多かったが、あえて警察庁出身(警察庁長官経験者)の漆間が起用された理由として、拉致問題などに関する漆間の姿勢が評価されたことや、漆間が警察の公安部門と刑事部門の双方を渡り歩き、「両刀遣い」として知られていたことから、「最強の情報機関」である警察の有する情報収集能力と、警察を動かす権力を期待しての起用だとされる。 また、漆間が警察官僚出身であることから警察情報が得られ、小沢一郎民主党代表の持病である狭心症の状態や、民主党大物議員のマルチ商法スキャンダルを調査させるという目的であることも取りざたされた。
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