内浦と曽許乃御立神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 内浦と曽許乃御立神社の意味・解説 

内浦と曽許乃御立(そこのみたて)神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/02 08:35 UTC 版)

浜名湖ロマン」の記事における「内浦と曽許乃御立(そこのみたて)神社」の解説

浜名湖北部内浦の東に曽許乃御立(そこのみたち)神社がある。この神社現在の茨城県にある鹿神宮祭神である武甕槌神タケミカヅチ建御雷神)が、大和に向かう途中根本山立ち寄った際に造られ神社とされている。 その証か、曽許乃御立神社祭神鹿島神宮祭神と同じであり、鹿島神宮同様に境内御手洗池があり、祭事として御船祭みふねまつりが行われている。祭神である武甕槌神タケミカヅチ)は日本神話の中で出雲大国主命から力により(諸説あり)国譲り迫ったとされる武神である。 その国譲り出雲に出かけたのは天鳥船(あめのとりふね)を使ったとされており、鹿島神宮出雲大社も港近くであり、曽許乃御立神社浜名湖内浦近くである。現代人考え以上に古代の人達の船の活用は盛んであったのかもしれない曽許乃御立神社から約2km離れた北側に、神社と関係の深い根本山があり、山の麓は大規模古墳群になっている曽許乃御立神社の社の参道浜名湖内浦浜辺向いており、古代、この地域一帯は、内浦の湾を活用した大きな文化圏存在し日本建国神話国譲り神武東征深く関係したかもしれない。 まさに浜名湖ロマンである。 今も残る曽許乃御立神社鎮守の杜には、力強く伸ばした御神木がある。その下に立ち、見上げると、体全体の気が入れ替わるような気持ちになるのが不思議である。当時、御立(みたち)というこの場所で気を新たにし、出発したのかもしれない。 〔周辺の観光施設〕・舘山寺温泉浜松動物園浜松フラワーパーク大草

※この「内浦と曽許乃御立(そこのみたて)神社」の解説は、「浜名湖ロマン」の解説の一部です。
「内浦と曽許乃御立(そこのみたて)神社」を含む「浜名湖ロマン」の記事については、「浜名湖ロマン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「内浦と曽許乃御立神社」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

内浦と曽許乃御立神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



内浦と曽許乃御立神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの浜名湖ロマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS