兵法家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:37 UTC 版)
曹操は文章家でもあった、兵書『孫子』を現在残る13篇に編纂したのは曹操である。これは『魏武注孫子』として後世に伝わることになる。また、『隋書』経籍志によると、曹操には『孫子』の他にも、『続孫子兵法』『太公陰謀』『兵書接要』『兵書論要』などの兵法書を著している(いずれも散逸)。 『李衛公問対』によれば、曹操は騎兵の運用法に優れ、唐の名将の李靖も参考にしていたが、曹操の著した『新書』という兵法書の記述は分かり難いとしている。また、同書では、曹操が書いた『新書』や『孫子』の注には、「兵を正兵と奇兵に分け、正兵に先に戦わせて、奇兵に敵側面を攻撃させる」と書かれているとある。 諸葛亮は「曹操の智計、人に殊絶なり。その用兵は孫子・呉子を彷彿させる」と評している。(黙記・漢晋春秋) 朱敬則(中国語版)は『全唐文』にて曹操の策謀を「近古無二」つまりかつて無いこととしている。
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