公立札幌病院院長
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1894年2月北海道公立札幌病院院長(現:市立札幌病院)が前任の関場不二彦が退職後不在であったため、招かれて同院の第5代院長に就任した。医員の指導に努めるかたわら繁忙期には1日300人ほどの患者を扱うなど、やや衰えの見えた公立札幌病院の院勢を盛り返した。北海道医事講談会を維持し会報を「北海道医事講談会雑誌」と改題して継続した。私立産婆教習所を設置して同年9月15日開所した。1896年日清戦争の戦後の医学の向上を図るために自費でドイツ留学をすることとなった。同年10月5日に札幌区総代人常会は病院収入剰余金の内から金4000円を洋行費用の一部として贈ることを評決した。病院職員一同による海外留学送別会が豊平館で開かれたほかに各界による送別会が相次いで開催された。11月15日に横浜港からドイツに院長現職のまま向かった。ドイツから帰国後1990年7月に京都医科大学教授に就任が決まり、院長を退職した。伊藤院長は精励恪勤の人で札幌病院の名声を高め、病院経営でも冗費を節約して常に黒字財政を維持して病院の基礎を固めた。また、札幌病院在任中の研究によって医学博士の学位を得ており、この研究は医学界でも高く評価されるものであった。
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