全日本プロレスでの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 16:28 UTC 版)
「テッド・デビアス」の記事における「全日本プロレスでの活躍」の解説
1976年8月に全日本プロレスにファンク一家の一員として初来日を果たし、以降も技巧派レスラーとして参戦を続ける。しかし1981年末のスタン・ハンセン全日本移籍の報復措置として新日本プロレスから誘われ、キラー・カーンの仲介で契約寸前まで行くも、団体間で紳士協定が結ばれ移籍は白紙撤回された。 1983年10月14日には天龍源一郎との新王者決定戦を制し、アントニオ猪木、坂口征二、高千穂明久、ジャンボ鶴田と受け継がれたUNヘビー級王座を獲得。1985年からは、新日本プロレスに移籍したブルーザー・ブロディに代わるスタン・ハンセンの新パートナーとなり、8月にPWF世界タッグ王座を獲得した、さらには同年の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝を果たす。ハンセンとのタッグチームは、デビアスがWWFに移籍する1987年まで続いた。
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