全日本プロレスの記者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 05:03 UTC 版)
「市瀬英俊」の記事における「全日本プロレスの記者として」の解説
週プロ編集部在籍時には長らく全日本プロレスの担当記者であった。これは市瀬自身が全日本ファンであった事と、市瀬がアルバイトで編集部入りしてしばらくの間は週プロ編集部と全日本との関係があまりよくなく、1986年には取材拒否状態になってしまった事にも起因している。週プロ編集部は、まだ顔が割れていない市瀬に一般のチケットを与えて観客を装い試合を観戦してきてもらい、会場の様子等を上司に伝える「潜伏取材」をさせていたのである。その後、1986年11月の輪島大士デビュー戦を持って、全日本側が取材拒否を解き、市瀬も晴れて記者として会場に足を運べるようになった。 また、この頃『週刊ベースボール』で、年に一度のお楽しみ企画となっていた「選手名鑑」の企画を週プロにも掲載してはどうかと当時の編集長ターザン山本に提案した。市瀬自身はこの企画を「オジサン達との会話」に狙いを定めていた(普段接点が少なく敷居の高かったベテラン選手との会話の機会を得るという狙いもかねていた)。
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