元師匠・オール巨人
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1993年3月2日放送分『EXテレビ』で行われた企画「公開弟子審査会」に有吉が参加し、合格。オール巨人(オール阪神・巨人)に弟子入りする。しかし弟子入りして8か月後、元々相性が悪かった兄弟子を歯が折れるほど殴ってしまい、有吉は巨人から「暴力を振るうような人間にするために弟子を取ったのではない」「乱暴者はいらん」と謹慎を命じられる。 謹慎中だった有吉は巨人には無断で巨人の下を離れ、1994年に森脇和成とコンビ『猿岩石』を結成し上京。太田プロダクション所属となる。そして、1996年に『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となる。何も聞いていなかった巨人は、テレビで見て初めて有吉が東京で芸能活動を継続していることを知って驚いたという。 女性セブンのインタビューによれば猿岩石の旅企画の終了後、オール巨人の著書によれば『TBSのオールスター感謝祭』で一緒になった時(女性セブンによれば有吉はすぐに巨人の楽屋を訪れたことになっている)、スタジオで巨人を見かけるなり、土下座して「すみませんでした!」と謝罪した。巨人は「これで正式に破門や。お前も辛かったんやろ」と声をかけた。有吉はいつか巨人に再会した時のことを考えてずっと「びびっていた」らしく、巨人が挨拶に来るか電話の一本も入れればいいのにと言ったところそれを行う勇気すら出なかったと答えた。 一方で弟子時代の有吉の印象について巨人は、「実は謹慎を命じた印象が強すぎて、他のことはあまり覚えていないんです」と語っているが、有吉が弟子入りしたときの履歴書を大切に保管しており、『有吉弘行のダレトク!?』のゲスト出演時に、当時の履歴書を公開した。 後に、『ダウンタウンDX』(読売テレビ)で巨人と有吉は共演しており、有吉は巨人に「楽屋の厄介者」というあだ名を命名している。
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