元年詔権量銘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:48 UTC 版)
標準器配布に関わる話はなく、「廿六年詔権量銘」に始皇帝の名がないことから、度量衡統一の業績を二世皇帝が自分のものと主張しているように勘違いされるのを防ぐための注意書きになっている。全60字。なおほとんど同じ言い回しの文が始皇七刻石の二世皇帝追刻部にも見られる。 白文(旧字体) 元年制詔丞相斯去疾。灋(法)度量。盡始皇帝爲之。皆有刻辭焉。今襲號。而刻辭不稱始皇帝。其於久遠也。如後嗣爲之者。不稱成功盛德。刻此詔。故刻左。使毋疑。 訓読(新字体) 元年、丞相斯・去疾に制詔す。法度量は尽(ことごと)く始皇帝之(これ)を為(つく)り、皆刻辞有り。今号を襲へり。而(しか)るに刻辞始皇帝と称せざれば、其れ久遠に於(おい)て、後嗣之を為りし者の如く、成功の盛徳に称(かな)はざらん。此(こ)の詔を刻せと。故に左に刻し疑なからしむ。 口語訳 (二世皇帝の)元年、丞相の李斯・馮去疾に制を詔した。「度量衡はことごとく始皇帝が統一し、みな(標準器に)その銘が刻まれている。今、それを受け継ぐことになった。しかし今ある銘には『始皇帝』と書かれていないので、長い歳月の後には、後裔である二世皇帝が度量衡を統一したかのように、その成功や徳を(不当に)顕示しているように見えてしまいかねない。(そうならないように)この詔を刻め」と。それ故に左に刻して疑われないようにするのである。
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