偽造ワインとフィロキセラの災禍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 23:32 UTC 版)
「スペインワイン」の記事における「偽造ワインとフィロキセラの災禍」の解説
Clip フィロキセラに寄生されたブドウの葉 フランスのブドウ産地がアメリカ合衆国産の台木を用いた接ぎ木によってフィロキセラの猛威から復興すると、フランスは1892年にスペインとの通商条約を破棄し、植民地であるアルジェリアからの供給を重視するようになった。1870年代のスペインは有害物質を着色料として使用した偽造ワインを生産するようになり、フランスだけでなくイギリスもスペイン産ワインの輸入制限の動きを見せた。国際市場に出回った偽造ワインの存在はスペイン産ワインの評価を下落させた。 1878年には、スペインで初めてマラガでフィロキセラが確認された。フランスから陸伝いに侵入したのではなく、アメリカ合衆国産の苗木に付着していたものと考えられている。1894年にはシェリーの主産地であるヘレスに到達し、1911年にはメセタ内陸部のバルデペーニャスにまで到達した。アンダルシア地方ではフィロキセラ確認後の10年間で8万5000ヘクタールものブドウ畑が壊滅し、スペインでもっとも大きな被害地となった。1879年にはフランス=スペイン国境を超えてカタルーニャ地方のアンプルダーで、1882年にはポルトガル=スペイン国境を超えてカスティーリャ・イ・レオン地方のベリンで、1892年にはフランス=スペイン国境を超えてナバーラ地方でフィロキセラが確認され、アンダルシア地方を含むこれらの4地域からスペイン全土にフィロキセラが拡大した。1909年にはカスティーリャ・イ・レオン地方のブドウ畑がフィロキセラ確認前の約半分に激減した。リオハの主要地域であるログローニョ県では1889年から1902年の間にブドウ畑が半減し、アラバ県ではブドウ畑が1/3となった。 バレンシア地方の内陸部とカスティーリャ=ラ・マンチャ地方の内陸部ではフィロキセラの襲来が遅れ、他地域の深刻な状況をしり目に繁栄を享受した。スペインではフランスと比べてフィロキセラの拡散速度が緩慢であり、ゆっくりとスペイン全土に広がっていった。1878年から1909年までの約30年間に、スペイン全土で103万6807ヘクタールのブドウ畑が破壊され、その後復興されたのは32万3858ヘクタールに過ぎなかった。フィロキセラに対する免疫が強いアメリカ合衆国産の台木に接ぎ木することで復興が図られたが、多くの農民がブドウ栽培を断念し、オリーブ・穀物・柑橘類などへの転換を選んだ。1884年にはカタルーニャ地方でべと病が発見され、フィロキセラ同様にスペインのワイン業界に対する脅威となった。
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