倭銀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
日本は中世後期から銀や金の産出量が急増する。そのきっかけは、朝鮮半島からの技術だった。博多商人の神屋寿禎が、宗丹と慶寿という技術者を朝鮮半島から石見銀山に連れてきて、灰吹法という技術が伝わった。古代からの鉱脈だった石見銀山は再開されて、対馬や壱岐を経由して博多や朝鮮半島へ鉱石が運ばれた。灰吹法が各地に伝わると銀の産出量が増えて畿内や九州、貿易港に銀が流通した。当時は銀が国際的な貨幣であり、日本の銀は倭銀とも呼ばれて日朝貿易の重要な輸出品となる。
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