倭寇の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 22:41 UTC 版)
中国の明や韓国の高麗・朝鮮王朝、また日本の室町幕府に対し、倭寇は結果として重要な政治的外交的な影響力を与えた。明は足利幕府に対し倭寇討伐を要請する見返りとして勘合貿易に便宜を与えざるを得ず、また高麗王朝は倭寇討伐で名声を得た李成桂によって滅ぼされ、李成桂によって建国された朝鮮王朝は文禄の役の頃まで倭寇対策(懐柔と鎮圧)に追われた。朝鮮王朝による対馬侵攻(応永の外寇)も、倭寇根拠地の征伐が大義名分とされていた。 また、第二次世界大戦後、韓国では日本に略奪されたと主張される文化財の返還運動が展開し、高麗仏画や仏像など日本に保管される朝鮮由来の文化財の多くは倭寇に略奪されたとする見解が韓国ではなされているが、日本では当時の李氏朝鮮政府が仏教弾圧政策をとったため日本へ貿易品として輸出されたり、贈答されたとする見解がある。
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