倭寇対策としての「空島」政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:00 UTC 版)
「鬱陵島」の記事における「倭寇対策としての「空島」政策」の解説
13世紀から16世紀にかけて「倭寇」(朝鮮本土や中国沿岸部を劫掠した海賊)は鬱陵島を拠点に朝鮮本土を襲ったり、鬱陵島の島民までもが倭寇を装い(仮倭という)、半島本土を襲うことがあった。 李氏朝鮮(1392年〜1897年)は成立前後より、これを脅威とみなし、1417年、太宗は対策として、同島の居住者に本土への移住を命じた(いわゆる「空島政策」)。 この後、1881年まで460年以上に渡って同島は公式には無人島となった(しかし朝鮮から密航する者は後をたたなかった)。
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