個人的関係の瓦解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 10:21 UTC 版)
「サラ・ジェニングス」の記事における「個人的関係の瓦解」の解説
サラの地位に対する開けっぴろげさと無関心さは、今や厚かましいものと見られていた。当時の多くの女性たちと違い、彼女は当代きっての国の実力者、マールバラ公ジョン・チャーチルとゴドルフィン伯シドニー・ゴドルフィンと非常に親しい関係にあった。ゴドルフィンはアンの王位継承後に高い地位を拒んでいるとみなされ、静かに暮らすことを好み、政治的にも威張っているサラから遠かった。サラは男ばかりの内政と外政の世界で唯一の女性として、常に助言を求められた。意見を表明することでずけずけと非難を浴びることもあったが、彼女は魅力があり快活で多くの人々に賞賛された。 アンとサラの友情が壊れていったのにはいくつかの理由があった。彼女は多くの書簡を交換していても、サラの返事がまれであるため彼女を非難し、サラが長く宮廷から離れているのにいらだっていた。また、政治的な立場の違いもあり、アンはトーリー党を好み、サラはホイッグ党びいきだった。アンはサラと考えが一致しないことがあるのに耐えられなかったが、サラは常に夫のマールバラ公のことを考え、アンがホイッグ党嫌いなのを承知でホイッグ党を支援するよう求めていた。 1703年、嫡男のブランドフォード侯ジョンが天然痘に感染し、危篤となる。戦地からマールバラ公が呼び戻され、夫妻は2月20日に一人息子の死を看取った。息子を失ったサラは心痛のあまり引きこもり、女王からの悔やみの手紙にも冷たく儀礼的に応じたが、サラはアンが肉親と死別した時に、女王が自分を閉め出させないようにした。 1708年にアンの夫ジョージが亡くなると、サラは招待されていないのにケンジントン宮殿に入り、アンに目通りして彼の遺体と対面した。サラは悲嘆に暮れる女王にケンジントン宮殿からセント・ジェームズ宮殿へ移るよう言ったが、女王はぶっきらぼうに断り、サラに従妹のアビゲイル・ヒルを呼ぶよう命じた。アビゲイルがアンに影響力を持っていることに気がついたサラは、アンの言いつけに背き、ジョージの死に嘆き悲しむアンをしかりつけた。アンはただちにセント・ジェームズ宮殿へ連れて行かれ、サラの鈍感さが女王の気持ちを著しく害し、友情に決定的な打撃を与えた。
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