修史的な検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 20:56 UTC 版)
引き続き、モナ・オズーフによれば―― この標語の誕生は派手なものではなく、明瞭なものでもない。(中略)アルフォンス・オラールは、この標語が革命のプロセスの各段階に対応する3つの運動によって順次形成されたものであると示唆している。最初が「自由」で、これは革命初期において最も人気のある概念であった。次いで、1792年の8月10日事件(ルイ16世の逮捕)を端緒に「平等」が浮上する。「友愛」の芽が出るのは山岳派支配の時期の終わりになってやっとであった。この標語の3拍子は歴史時間の流れのリズムであったということになる。アルベール・マチエもオラールと同意見であるが、「友愛」がもたらされたのはさらに後のことで、フリーメイソンを起源として、1848年になってやっと認められるようになったのではないかとしている[要出典]。革命暦の構成もこうした仮説の支持材料となる。1789年7月14日に始まる年を「自由元年」、1792年8月10日に始まる年を「平等元年」(自由4年)としているのである。
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