信綱の誕生と出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:32 UTC 版)
名字は「大胡(おおご)」。通称の姓は「上泉」で、読みは「かみいずみ(歴史的仮名遣:かみいづみ)」もしくは「こういずみ(歴史的仮名遣:こういづみ)」。居城のあった現在の前橋市上泉町の「上泉」の読みは「かみいずみ(歴史的仮名遣:かみいづみ)」。 名は、『言継卿記』では大胡武蔵守または上泉武蔵守信綱。『武芸流派大事典』によると、自弁当流(神影正兵法備具兵神宜武士道居合)の伝書に秀長とあり(綿谷によれば初名)、次に秀綱、永禄8 - 9年から信綱だとする。『関八州古戦録』では金刺秀綱。伊勢守、のち武蔵守を名乗った。 上野国は赤城山麓の上泉(現在の群馬県前橋市上泉町)で生まれたと伝えられるが、異伝は上泉城を生誕地とする。生年は史料が無く、不明。尾張柳生家の柳生厳長は『正伝新陰流』(1957年)で永正5年(1508年)としている。 父は、『武芸流派大事典』や『国史大辞典』など通説によると大胡武蔵守秀継とされる。ただし異説もあり、『撃剣叢談』(三上元龍、1790年)では憲綱、上泉家伝来の系譜では上泉武蔵守義綱とある。 なお通説では大胡氏の一族とされるが、子孫という上泉家の家伝では一色氏の一族が大胡氏の名跡を継ぎ上泉氏の祖となったと伝える。
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