作者との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 04:59 UTC 版)
「アルジャーノンに花束を」の記事における「作者との関係」の解説
作者であるダニエル・キイスにとっても『アルジャーノンに花束を』は印象深いものであったようで、自伝『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』を書いている。 キイスは作家として1952年に最初の作品を発表したが注目されてこず、『アルジャーノンに花束を』が彼を「一躍スターダムに押しあげた」。彼は10代の頃から学資を稼ぐため、パン職人の見習い、パンの配送、軽食堂のウェイターなどをしたが、その時の経験も主人公チャーリイに注ぎ込まれており、キイスは、「チャーリイ・ゴードンはわたしです」と述べている。 アイザック・アシモフはヒューゴー賞をキイスに手渡したときの逸話として、以下のようなキイスの「不滅の名言」を回想している。 私(アシモフ)は「いったいどうやって、彼(キイス)はこんなことをやり遂げたのですか?」とミューズ(知の女神)に問うた。…キイスは丸っこい、穏やかな表情で、こんな不滅の名言を返してきたのである。「ねえ、わたしがどうやってこの作品を創ったか、おわかりになったら、このわたしにぜひ教えてください。もう一度やってみたいから」。 キイスは中編発表後も、主人公チャーリイのことが頭から離れず、チャーリイが「もっと書いて」と訴えかけていたと語っている。キイスは、チャーリイの「心と過去」を深く探るうちに、もっと彼の感情の発達形成の様々な経験を理解する必要性を感じ、長編化をおこなった。 長編発表直後に一人の精神科医から手紙を受け取り、これがきっかけで後に『五番目のサリー』へと繋がった。また『ビリー・ミリガン』のシリーズは、ビリー自身が『アルジャーノンに花束を』を読み、「自分の人生についてもチャーリイのように、自分の立場から書いて欲しい」と依頼したことに端を発している。
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