住民と軍の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 04:19 UTC 版)
11月6日、地元紙の『エルザス人』と『ツァーベルン新聞』がこの出来事を報じるに及び、翌日には住民の中でプロイセン軍に断固抗議する動きが出た。エルザス=ロートリンゲンのカール・レオ・ユリウス・フォン・ヴェーデル(ドイツ語版)総督はエルンスト・フォン・ロイター連隊長とベルトホルト・フォン・ダイムリンク(ドイツ語版)将軍に対し、フォルストナーを転任させるように要求したが、軍の名誉と体面を理由に、フォルストナーにはわずか6日間の外出禁止が言い渡されただけであった。11日にシュトラースブルクの政府当局は公式見解を公表し、「ヴァッケス」は喧嘩好きな人間にとって一般的な名称であるとして、事件を過小評価した。22日には、連隊所属の兵士10人が報道機関に機密事項を漏らした容疑で逮捕された。 その間、エルザス人世論の中で抗議の声が静かに広がっていた。外出禁止が解けたフォルストナー少尉が姿をあらわし、指揮官の指示のもと武装した護衛に守られていたことが、人々を挑発した。特にデモに参加した若者がフォルストナーに向かって繰り返しあざけり面罵し、地元警察は止めることができなかった。 ダイムリンクの指示を受けて、連隊長のロイター大佐は地元政府議長のマーラーに対し、警察の協力を得て秩序を回復するか、さもなければ自分自身が措置を講じなければならなくなると勧告した。エルザス人のマーラーは住民に共感を抱いており、抗議は平和的で違法行為はないからと、要求を撥ねつけた。
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