休業と営業再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:46 UTC 版)
大正時代に入ると小松の経営に暗雲が立ちこめるようになった。まず白砂青松の海岸線を誇った田戸海岸が、1913年(大正2年)に埋め立てが行なわれたため、小松は景勝地に立地しているという地の利を失った。更に第一次世界大戦後の世界恐慌の影響から小松への客足は更に遠のいていった。そして恐慌によって生活に困窮した横須賀市内の娼妓が待遇改善を求めストライキを起こすに至り、小松は1918年(大正7年)から1919年(大正8年)頃、休業に追い込まれ、山本コマツは横須賀市内で経営していた芸者屋である大和屋の経営に専念することになった。 しかし多くの海軍軍人たちに親しまれてきた小松の閉店を惜しむ声が強かったため、山本コマツは当時景色が良かった現在の店舗がある米が浜に約400坪の土地を購入し、1923年(大正12年)春頃から料亭小松の再建工事を開始した。建築中に関東大震災が発生し、横須賀市内でも大きな被害が発生し、山本コマツが経営していた大和屋も地震後の火事で焼失した。山本コマツらは休業した田戸の小松の旧店舗に避難し、百畳敷の大広間は避難所として開放した。幸運にも米が浜に建設中の新店舗には地震の被害は無く、1923年(大正12年)11月には新店舗が完成し、料亭小松は営業を再開した。
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