京セラ時代のヤシカとは? わかりやすく解説

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京セラ時代のヤシカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 20:15 UTC 版)

ヤシカ」の記事における「京セラ時代のヤシカ」の解説

ヤシカ事業引き継いだ京セラ光学機器事業本部合併後も高級機のコンタックス低価格機のヤシカの各ブランドカメラ生産続けていたが、国内向けの普及機については1986年発売開始のオートフォーカスコンパクトカメラ「京セラTD」から京セラブランドで生産開始した。しかし海外市場重視したヤシカ戦略海外における「YASHICAブランド知名度高かったため、海外向け低価格機は引き続きヤシカブランドで販売された。また合併翌年1984年にはヤシカブランドの京セラMSXコンピュータ「YC-64(オランダ語版)」が海外向け発売された。 カメラ生産1984年12月以降長野岡谷工場がコンタックスブランドやヤシカブランドの一眼レフ北海道北見工場北海道北見市豊地)がヤシカ/京セラブランドのオートフォーカスコンパクトカメラを担当したが、チップコンデンサなどの電子部品生産増強目指し1988年国内生産体制再編カメラ生産ライン長野岡谷工場一本化された。しかし光学機器事業本部合併時の期待どおり収益上げることができず、ヤシカ出身社員多く1990年代以降京セラが手がけた第二電電DDI現在のKDDI)などの別事業に投入された。 京セラ長野岡谷工場は、ヤシカ1959年岡谷市から購入した片倉製糸工場跡地活用して1972年開設下諏訪町工場1973年7月より武藤工業諏訪工場となっている。60年代にはヤシカ進出目論んでいたテレビ受像器製造事業専用工場建設する構想だった。面積は約8万平メートルで、単一工場面積としては現在も岡谷市最大を誇る。京セラ合併後光学機器事業本部工場としてカメラ生産継続。現在はサーマルヘッド部品LEDヘッド部品単結晶サファイア製品など生産している。 京セラ2007年カメラ事業から撤退保有していた「ヤシカ」の商標権京セラカメラ販売代理店だった香港企業JNCデイタム・テック・インターナショナル株式会社売却した

※この「京セラ時代のヤシカ」の解説は、「ヤシカ」の解説の一部です。
「京セラ時代のヤシカ」を含む「ヤシカ」の記事については、「ヤシカ」の概要を参照ください。

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