京セラ時代のヤシカ
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ヤシカの事業を引き継いだ京セラ光学機器事業本部は合併後も高級機のコンタックス、低価格機のヤシカの各ブランドでカメラ生産を続けていたが、国内向けの普及機については1986年発売開始のオートフォーカスコンパクトカメラ「京セラTD」から京セラブランドで生産を開始した。しかし海外市場を重視した旧ヤシカの戦略で海外における「YASHICA」ブランドの知名度が高かったため、海外向けの低価格機は引き続きヤシカブランドで販売された。また合併翌年の1984年にはヤシカブランドの京セラ製MSXコンピュータ「YC-64(オランダ語版)」が海外向けに発売された。 カメラ生産は1984年12月以降、長野岡谷工場がコンタックスブランドやヤシカブランドの一眼レフ、北海道北見工場(北海道北見市豊地)がヤシカ/京セラブランドのオートフォーカスコンパクトカメラを担当したが、チップコンデンサなどの電子部品生産増強を目指した1988年の国内生産体制再編でカメラ生産ラインは長野岡谷工場に一本化された。しかし光学機器事業本部は合併時の期待どおりの収益を上げることができず、ヤシカ出身社員の多くは1990年代以降、京セラが手がけた第二電電(DDI、現在のKDDI)などの別事業に投入された。 京セラ長野岡谷工場は、ヤシカが1959年に岡谷市から購入した旧片倉製糸工場跡地を活用して1972年に開設。下諏訪町の工場は1973年7月より武藤工業の諏訪工場となっている。60年代にはヤシカが進出を目論んでいたテレビ受像器製造事業の専用工場を建設する構想だった。面積は約8万平方メートルで、単一工場面積としては現在も岡谷市内最大を誇る。京セラ合併後も光学機器事業本部の工場としてカメラ生産を継続。現在はサーマルヘッド部品、LEDヘッド部品、単結晶サファイア製品などを生産している。 京セラは2007年にカメラ事業から撤退。保有していた「ヤシカ」の商標権を京セラ製カメラの販売代理店だった香港の企業、JNCデイタム・テック・インターナショナル株式会社に売却した。
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