九蔵時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:48 UTC 版)
1971年11月に二つ目に昇進。昇進前、九蔵には後に妻となる女性と交際していたが、このことに関しては「結婚は真打になってから」という不文律の手前から師匠の正蔵には黙っていたが、正蔵に「お前、女ができたね」と言い当てられた。結婚式まで1か月を切っていた時期だったが、九蔵が「はい」と答えると怒られるどころか「前座で祝言挙げるんじゃ格好がつくめぇ」と言われて二つ目に昇進させてもらうこととなった。九蔵を二つ目にするためには香盤上他に10人も二つ目に昇進させる必要があったが、無事昇進した。妻の父は5代目柳家小さんの贔屓筋だった。最晩年の彦六が体調を崩し入院すると、よく妻を連れて看病に来ており、この際、しばしば彦六の手を取って「師匠!」ときめるゆえ、たまりかねた彦六が目を見開き、「そうまい日泣かれちゃ、オレは死ななきゃなんねェ!」と言ったエピソードもある。 1982年1月29日、この日は夜に、本牧亭で九蔵主宰の一門会があった。この日の彦六の容体は比較的よく、一門のほとんどが彦六の見舞いをした後一門会に向かった。そしてその夜に彦六は容体が急変し、86年の生涯を終えた。 好楽本人曰く、彦六からは23回も破門されたというが、いつもしばらくすると済し崩し的に復帰が認められていた。 九蔵時代の愛称は九(きゅう)ちゃん、九(きゅう)坊であり、好楽に改名後も兄弟子の木久扇は九ちゃんと呼んでいて、好楽の夫人も死去するまで九ちゃんと呼んでいた。
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